2017年3月17日金曜日

日記や手紙が何百年も経ってから人目にさらされるっていうアレ

思い返せば
昔からとにかく(どうでも良い事を)書き散らしていた人間

20代前半くらいまでは断続的に日記を書いていたし
姉が大学生になって下宿している間は
姉宛てに手紙を週1ペースで書いていたし
海外文通などにもはまって兎に角あれこれ書いていた

しかし

数年前
姉が『部屋を整理してたら出て来たよ』と見せてくれたのが

当 時 の 手 紙 の 束

Σ(´□`;)


ド下手くそな絵もあちこちに描いてあって

何この公開処刑っぽいシチュエーション

と 己の黒歴史を呪ったものだ

そしてきっとそれらは今も姉の部屋のどこかにある


芸術家とか文豪と言われた人達とか政治家その他
何らかの形で歴史に残った人物の手紙やら日記やらが

「発見されました」「初公開されました」

とかニュースで取り上げられているのを見聞きする度に

ああ……お気の毒に……

と思ってしまう自分は何なのかな

文化的価値とか当時の風習が分かるとか歴史的意義とかも分かるのだけど
特にプライベートなアレコレなどは

そっとしといてやってよ

と思う事もしばしば

公文書とかは別にどうとも思わない
だって公(おおやけ)だもの


日記はだいぶ処分した(はず)

あとは手帳
ここ10年分くらいは保存してある
だがこちらは色々と生活の記録的意味もあるから
あっさりポイとは捨てられない

自分自身 日々のあれこれとか趣味のどれそれとかは
すっかりブログに移行したけど

インターネットという世界だと
ブログにアップした瞬間から「日記が公開されました」状態

自分が生きてる間から人目にさらされるっていう羞恥は
今の自分に衆目が集まるという快感と表裏一体というか何と言うか

この瞬間にも想像以上のスピードで蓄積されていく
生きている人々の活動や思考(や嗜好)の記録
クラウド的なところにどんどん集められて
巨大な積乱雲になっていってるんだろうか

電気が無くなったら
それらも一瞬で文字通り雲散霧消
紙に書かれたものは何百年経っても
その一部であれ生き残り続けそうだが

1と0で記録された膨大なデータの寿命は
さてどのくらいのものなのか